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ケニー・オルテガ
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THIS IS IT
ダンサー

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The Wiz
ヘアメイク担当

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テディ・ライリー
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フィリピン
マニラホテル
広報担当者

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ジョン・ランディス
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マジシャン
リアム・シーハン

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VANITY FAIR
カメラマン

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THIS IS IT
音楽監督

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専属画家
デビッド・ノーダル

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デビッド・
ワルチンスキー

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エンジニア
ロブ・ホフマン

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プロデューサー
デビッド・パック

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インパーソネーター
Navi

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DORIAN
HOLLEY

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アンドリュー
ロイド・ウェーバー

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画家ネイト
ジョルジオ

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Chris Apostle
Cory Rooney
Chris Yandek

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ゴットフリート・
ヘルンヴァイン

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Sam L. Parity
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マイケルの手紙
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David Perry
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Travis Payne
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Tom Mesereau
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メイクさんの話http://makeupmag.com/news/newsID/653/


毎朝マイケルの特殊メイクは、
彼の髪の毛(とても細かい三つ編み状)
をおさめる為のむき出しのキャップを付けることから始めます。
次に、スポンジ状のラテックスを、頬2つ分、
鼻部分(まるでリースズの
ピーナッツバターカップの包装紙みたいな)、
顎の部分と首のひだ部分に付けます。
役者達は午前中にやってきて、一日中絶えずメンテしなければなりませんでした。

かかしは、とてもマンガチックなキャラだったので、マイケルはかかし役に
生命を吹き込むために大げさな顔の表情をたくさんしました。
その顔のストレッチはすばらしかったけれども
ラテックスをゆるめてしまうので、
私は付け直したり、化粧を直さなければなりませんでした。
その日の最後にメイクを取るために、私はマイケルの後ろに立って、
むき出しの キャップの後ろを持ち上げ、
頭の上へ皮をむくように取ります。
中のキャップと外のラテックス部分は、
ほとんど一つの状態ではがれます。
すぐその後に、私は鏡に写らないようにして
マイケルの椅子の後ろでしゃがみ、 マスク(いまや気味悪いマスクになってる)
を取って、ゆっくり持ち上げ
彼の頭の上で揺らしながら、“OOODLE-OOODLE-DOOODLE-DE-OOOOHHH!”
彼はすごい勢いで笑っていました、
まるで生まれて初めて面白いものを見たように。
私は本当に彼の無邪気なユーモアのセンスを楽しみました。
私が何かくだらないことを言ったり、
やったりするたびに彼は爆笑していました。
そのあと彼のメイクや接着剤やらの残りを取り除いて終了です。
私達は家に帰って明日の撮影に備えるのでした。

ある日私達がおしゃべり中、
私が子どもの頃に絵の描き方を教わったことが、
メイクアップアーティストになる大きなきっかけとなったことを話しました。
彼が試しに描いてと頼んできたので、
ペンを取りフランケンシュタインの怪物を
すばやく描きました。彼はそれを気に入ってました。
マイケルは兄弟姉妹と時々、暇つぶしにゲームをするんだと言いました。
誰か一人が紙に抽象的な線を描いて、
他の兄弟に渡し、「よし、すぐにこれを 消防車か、木にして」
という様なことを言って制限時間内に完成させる、というような。

マイケルと私がそのゲームをしたとき、
私は2,3曲がったライン(私には猫を 連想できなかった)
を描いて彼を困らせようとしました。私が考えうる限り、
これらの線は全く猫には見えなかったのです。
そこで私は、「ほら、ここから猫を作って!」
それから30秒以内に彼は猫を描きました。
私が想像しえた様な、四つん這いに
なって立っている猫では無く、丸くなって眠っている子猫でした。
それから彼はその場で2つの新しい絵を描きました、
彼の了承をえてそれらは 私がもらいました。
そのうちの一つは男性の顔です。とてもおおざっぱで印象派的な、
でも彼が描いた絵 と彼の顔、
(後に彼が多くの整形をした後の)には不気味な類似点があります。




私はある夜マイケルを夕食に誘いました。
私達はその約束を黙っていなければ
なりませんでした、なぜならもし誰かがそのことを突き止めたら、
その知らせは 瞬く間に広がってしまうでしょう。
1978年彼は19歳、すでに世界中で有名でした。


彼はニュージャージーにある私達のアパートに武装したボディガードのスペンスと
共にやって来ました。
夕食は若鶏、マイケルのリクエストで、ストーブトップの詰物にしました、
それは 彼の故郷ゲイリーの人達が「ドレッシング」
と呼んでいたんだと彼は言ってました。
マイケルは食べている時、本当に穴を掘ってる様に、
顔中に、テーブル中に、 服の上にも食べ物をこぼしました。
彼は自分が関わったどんなことにもとても情熱を注いでいたので、
きっと食べることも そのうちのひとつなんだ、
と私は思いました。


私達はその夜素晴らしい時間を過ごしました。
私は少しギターをかじっているので、
マイケルにアコギで簡単なコードをいくつか披露しました。
彼はいつも、楽器を演奏できてロックバンドのリードギターを
夢見た様な人達を 賞賛するのです。
その当時、コメディアンのロバート・クラインがSNLに出ていました。
(以下は彼のネタ)
彼はハーモニカを持って出て来て足をならしてバンドにテンポを示して叫び、
「ブルースを聞かせてくれよお!」
バンドはブルースナンバーの出だしを始めて、彼は合わせてハーモニカを吹き出す、
足を踏みならし拍子を取りながら。序奏が終わったら、ハーモニカをやめて歌い出す、
“I can't stop my leg, little darlin’ ... I can't stop my leg, little guurrl!”


えーと、マイケルはここから急に火がつきました。
そこで、私がブルースのコードを弾く最中マイケルは足を踏みつけて歌いました。
“I can’t stop my leg!”
歌いながら指を立て、「さぁ、みんな聞いて」
そして彼は熱中しはじめたので
私は演奏をやめました。この訪問から、私は彼がとても普通の、
健康な子どもだったんだなという感じを受けました。


だから私は「偉大なマイケル・ジャクソン」
を少しは知っていないといけません。
彼はかつて私に、彼がしていること(映画作り、レコード作り、ステージでのライブ)
によって派生することはどんなことでも、彼の人生にとって最も重要なことである
と言いました。それは本当にそう見えました。
たとえ彼が何をしていたとしても、才能が物語っていました、
つまり彼の歌やダンス ーそのものが。


マイケルは、その人生に両極端なものが組合わさったとても特別な人でした。
彼は普通の、地に足の着いたものを楽しみ、
同時にとても高級なクラブの生涯会員資格
も得ました。彼の才能(生涯の訓練によって鍛えられた)
は無数のファンの心に届き、 永久に音楽を新しい形に作り替えたのです。
彼は子供時代を与えられなかった、
私が思うに、彼は最初の子供時代を送ろうと
することに残りの成人期を費やしたんだと考えます。
彼はでっかい子供だったんですね!








 
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