マイケルのインパーソネーターを20年続けているナビさんは、マイケルに似せるために整 形もしたとのこと ファンやカメラマンからマイケルを逃れすためのおとりとして働いたこともあるそうです。
○マイケルが亡くなったのをどこで聞きましたか?
ライケスターからエセックスの家に帰るため高速を運転中だった。ラジオでニュースを聞い たけど信じられなかった。20年以上もマイケルの人生を追い続けてきたので、マイケル
の奇妙なニュースには慣れていた。家に帰ってCNNが確認してからやっと信じたんだ。
でもまだ身に染みて感じないんだ。。
○なぜ?
マイケルが死んでしまったのはわかっているけど、僕の中にそれを否定する自分がいるん だ。どこかに突然現れるだろうって考えてしまう。ずっと忙しくしていれば、受け入れなくて
すむから今まで機械みたいに働き続けてるよ。1月に3週間タイで休暇を過ごすんだけ ど、その時には彼はもういないって認めなければならないだろうね。きっと打ちのめされた
ようになるだろうけど、やらなくちゃいけないと思っている。
○どうして物まねを始めたんですか?
プロとしてマイケルの物まねを始めたのは15歳のときだった。7歳の頃トリニダードからイ ギリスに移ってきたんだけど、それはOff
The Wallが出た1979年で、マイケルが80年代 90年代のチャートを制覇する初めの年だった。1983年までには、アルバムは僕の心を
つかんでそれがどんどん膨らんでいった。僕は髪を長く伸ばして、台所で飛び跳ねたり、 ムーンウォークを始めた。それから芸能事務所に写真を送って、仕事をもらいだしたん
だ。その後、物まねコンテストに応募した。僕の両親はもしも優勝しなかったら髪を切ってまともな仕事に就きなさいよって言ってた。僕は優勝して、それから二度と振り返らなかった。
○おとりの仕事はどんな風に始まったのですか?
僕は世界にいる3人のおとりのうちの一人で、マイケルの関係者から接触があったのは 1993年だった。たとえば、ホテルから待っている車に駆け込むんだ。そこにはものすごい
数の報道陣やファンがいて車を追いかけてくるんだ。
○マイケルに似せるために整形したのは本当ですか?
本当だ。でも、整形は鼻の骨を折ったことがきっかけだった。それ以降顔を何回か整形したけれど詳しくは言わないよ。それにメークをとれば、今でもナビなんだ。1月にもっと手
術をしようと思っていたけれどマイケルが亡くなってしまったからもうやらない。Smooth Criminalのころのマイケルのままでいることにするよ。
○マイケルは容貌を変える為に行き過ぎてしまったと思いますか?
僕自身の考えでは、いいえだ。僕はマイケルを理解しようと多くの年月を過ごしてきた。 彼はキャンバス地で彼はステージのために生きてきたんだ。時と共にどんな風に変えれ
ばいいか、どんな風に新しい自分を生み出していけば良いか知っていた。プリンスやブ ルース・スプリングスティーンとは違って、マイケルは彼の顔、髪を変化させてきた。そのこ
とを評価すべきなんだ。彼のキャリアにとって、整形はポジティブなことなんだ。もしマイケ ルがこれほどミステリアスで不思議でなかったら、今の半分も話題にはなっていなかっただろう。
○マイケルに会ったことがありますよね?
7回会ったよ。誕生日パーティーで彼のためにパフォーマンスしたことだってあるんだ。僕のことを素晴らしいダンサーだと言ってくれて毎日練習するのかと聞いてくれた。マイケルは本当に純粋な男で、本当に自信を与えてくれた。スターと遊ぶより一般人に興味が
ある人なんだ。
○ネバーランドに招待されたと思いますが、どうでしたか?
超現実的な感じだった。ディズニーランドがチャーリーとチョコレート工場と一緒になった ような。菓子屋に入って、欲しいだけもらってそのままでてこられるんだ。フラミンゴや青い鳥、キリンがいた。本物の電車があって、あちこち行けるし、木から音楽が流れてくるんだ。そして恵まれない子供達が大勢いた。マイケルは貧しい家庭に育ったことを決して忘れなかったんだ。
○歴史にはマイケルはどう残っていくでしょうか?
これまでで最も素晴らしいエンターテーナーとして。伝説は死んでいないし、新しい章に なっただけなんだ。これからもマイケルについてはマリリンモンローのように語り継がれてい
くだろう。他の伝説に残る人たちとマイケルの違いは、彼がインドから英国、韓国からア フリカに亘って全ての人が同意できる伝説的人物だということだ。彼は真に世界規模の
人だった。デュバイは本当に国際的で、これからするショーには少なくても15カ国以上
の国の人達がいる。そして彼らの共通点は、マイケルを愛していることなんだ。
○マイケルに関するネガティブな報道についてはどうですか?
例えばペットにサルを飼っていたのは変だとよく言うよね。でも、彼の世界ではそれが普 通なんだ。マイケルのように育って大スターになることを想像してみてよ。そんな人に何が「普通」だかわかるかな?僕は2005年の裁判に行った。マイケルの格好をして、
「SmoothだけどCriminalじゃない」って書いたプラカードを掲げてたんだ。14全ての訴訟で無罪になったんだ。彼は、裁判の間中ずっと不当な扱いを受けていた。社会は彼
の死に対して大きな責任があると思う。僕たちはスターを作ったあとにそのスターを破滅 させるのが好きなんだ。僕たちは彼を追い込めすぎたほどに追い込んだ。だけどマイケルは勝利者として亡くなったんだ。全盛期の頃よりもさらに大きな規模のコンサートで見
事なカムバックを果たすところだった。マイケルにはとても愛されていることがわかっていた。 そして彼が亡くなった時、世界は一瞬止まったんだよ
○マイケルの曲で好きなものはどれですか?
演じるとすれば絶対にビリージーンだ。手袋と、帽子でオープニングを飾るダンスなんだ。 聞くときにはWill You Be ThereかSpeechlessだ。マイケルの感動させる、感情に訴える曲だね。
○マイケルがいなくなった今、自分のパフォーマンスをどう思いますか?
マイケルが生きていた頃は物まねをもっと楽しみながらやっていた。その頃は、本物を見 ることができたからね。今はマイケルがいかに驚異的な人だったかを伝えていくというプレッシャーを感じるんだ。みんなマイケルを思い出すために、そしてできるだけ彼に近づきたくて来ているので、重い責任なんだ。人々は過去最高のエンタテイナーを祝福するため
に来ていて、僕はこの仕事ができて光栄に思うよ。
○観客が見たいのはナビではなくマイケルだということについてどう感じますか?
マイケルの分身として僕は他のエンタテイナー達以上の存在となりえると言うのが真実 なんだ。日本やアフリカ、インド、どこでも僕が行けばみんな僕に注目する。彼の物まねをすることを名誉に思っているよ。夢として始めたことが今は1年に57カ国で約300回公演をするまでに発展したんだから。
http://www.thenational.ae/apps/pbcs.dll/article?AID=/20091031/MAGAZINE/710309982
|