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ケニー・オルテガ
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THIS IS IT
ダンサー

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The Wiz
ヘアメイク担当

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テディ・ライリー
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フィリピン
マニラホテル
広報担当者

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ジョン・ランディス
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マジシャン
リアム・シーハン

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VANITY FAIR
カメラマン

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THIS IS IT
音楽監督

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専属画家
デビッド・ノーダル
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デビッド・
ワルチンスキー

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エンジニア
ロブ・ホフマン

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プロデューサー
デビッド・パック

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インパーソネーター
Navi

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DORIAN
HOLLEY

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アンドリュー
ロイド・ウェーバー

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画家ネイト
ジョルジオ

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Chris Apostle
Cory Rooney
Chris Yandek

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ゴットフリート・
ヘルンヴァイン

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Sam L. Parity
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マイケルの手紙
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David Perry
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Travis Payne
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Tom Mesereau
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http://www.huffingtonpost.com/david-wallechinsky/michael-jackson-a-photo-t_b_221823.html

マイケルジャクソンと知り合いになったのは全くの偶然だった。それは1983年、
私の妻フローラが1人目の子供を妊娠中の時だった。
私たちはよくゴールデン・テンプルというベジタリアンレストランで食べていたた。
大抵はランチとディナーの間の時間帯に行っていた。
その時間帯はあまり他の客もいなかったが、常連が他に1人いた:

マイケルジャクソンだ。

彼は最近ベジタリアンになり、ベジタリアンの妊娠がどう進行するのか興味深々だった。
私たちの息子エリヤが6月に生まれた時、マイケルは彼に会えて興奮していた。
父親になるとはどういう感じかなのか、一度彼が私に聞いた事があった。
そして、彼が人生のうちで一番してみたい事は、
自分の子供を持って世話をする事だと言った。
普通の子供である事を許されず、父親になりたがっている彼に、
その時ですら何となく心が痛んだ。


1984年2月18日、エリヤが8ヶ月の頃にゴールデン・テンプルに連れて行った。
マイケルと「ウェブスター」として知られていた
13歳の友人エマニュエル・ルイスの他には客がいなかった。
マイケルはエリヤと一緒に写真を撮りたかったので、
カメラを持ってくれば良かったと言った。
妻のバッグにはカメラが入っていたが、フィルムがなかった。
マイケルは妻に近くのドラッグストアにフィルムを買いに行くよう勧め、
帰りを待つ間にマイケルとエマニュエルでエリヤの世話をしていいかと聞いた。
フローラが戻ってきて、マイケルは色々なポーズを提案し、
彼女はエリヤとマイケルとエマニュエルの写真を沢山撮った。
マイケルは現像できたら焼き増ししてほしいと頼んだ。


結局それぞれ興味のある写真になったが、
マイケルがエリヤを腕に抱いている1枚の写真が際立っていた。



25年後の今日、そのマイケルの明るい表情や澄んだ笑顔を見ると、
つい悲しくなってしまう。彼は健康で幸せで安らかに見えた。
彼のアルバム「スリラー」は一大センセーションを巻き起こしていた。「
ビートイット」はたった4日前にリリースされたばかりだった。
ゴールデン・テンプルで過ごしたその午後の10日後には、彼はグラミー賞を8つ獲得した。
大成功を収めたその夜のすぐ後、我々が次にそのレストランで会った時には、
彼は晴れやかな顔をしていたが、成功した事に少し当惑していた


マイケルとエリヤのその写真は随分と役に立った。
私は旅行する時、いつも私は家族写真のパケットを持参した。
マイケルとエリヤの写真はそのセットの一番最後にあって
人々がそこに達した時には驚いたものだった。
中国、ロシア、ビルマ、タヒチ、どこに行こうとも皆マイケルジャクソンがわかった。
正直に言うと、ジャーナリストとして
インタビューしたい人を安心させるためにその写真を使った事もあった。


時が過ぎ、マイケル・ジャクソンは次第に
写真のマイケルのようには見えなくなっていった。
彼の皮膚の色は変わり、鼻の形と顔が変わり、
幸せで満足そうな表情は消えた。

そして今、彼は去ってしまったので、私はマイケルジャクソンのこの写真を皆と分かち合いたいと思う。
彼が彼自身と世界に満足していたように思える頃のマイケルを。私はこんな風に彼を覚えておきたいのだ








 
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