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ケニー・オルテガ
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THIS IS IT
ダンサー

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The Wiz
ヘアメイク担当

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テディ・ライリー
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フィリピン
マニラホテル
広報担当者

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ジョン・ランディス
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マジシャン
リアム・シーハン

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VANITY FAIR
カメラマン

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THIS IS IT
音楽監督

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専属画家
デビッド・ノーダル
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デビッド・
ワルチンスキー

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エンジニア
ロブ・ホフマン

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プロデューサー
デビッド・パック

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インパーソネーター
Navi

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DORIAN
HOLLEY

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アンドリュー
ロイド・ウェーバー

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画家ネイト
ジョルジオ

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Chris Apostle
Cory Rooney
Chris Yandek

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ゴットフリート・
ヘルンヴァイン

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Sam L. Parity
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マイケルの手紙
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David Perry
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Travis Payne
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Tom Mesereau
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エンジニアのロブ・ホフマンさんの思い出
http://www.gearslutz.com/board/so-much-gear-so-little-time/
403276-post-here-if-you-worked-michael-jacksons-dangerous-album.html

ある日の朝、MJが前の夜に作った曲を持ってきた。
僕らがギタリストを呼ぶと、マイケルは音符とコードの
一つ一つ全てを彼に歌って聞かせた。
「初めのコードがこうで最初の音、2番目の音、3番目の音。
2番目 のコー ドがこうで、最初の音、2番目の音、三番目の音」
などなど。そのあと僕たちはとても心のこもった素晴らしい
歌を生で聞くことができた。

マイケルは弦楽器パートの全てのアレンジをよく私達に歌って聞かせた。
スティーブ・プルカノは一度MJが 部 屋で弦のセクションを歌っているのを見たそうだ。
すべて頭の中に入ってるんだ、ハーモニーとか全部。
ちょっとした8小節ごとの繰り返し部分だけじゃない。
MJは小型のカセットレコーダーに一曲分全部のアレンジを完璧に録音していた。


あるときマイケルはプロジェクトプロデューサーが
皆にひどい態度をとっていたので
腹を立てていたことがあった。
派手な騒ぎにしたり解雇したりするかわりに、
マイケルが彼をオフィスに呼び出すと、
一人のセキュリティの職員がやってきてパイを顔面にぶつけたんだ。
それで一件落着となった・・・。

HIStoryのスマイルをレコーディング中に、
ブルースはMJがオーケストラと一緒にライブ
で歌ったら素晴らしいだろうと考えた。
だがもちろん僕らは楽団員達にそのことを教えなかった。
脇のボーカル・ブースにMJを準備してもらった。
それからオーケストラがボーカルなしで
リハーサルをやって最初の録音の時にマイケルが歌いだしたんだ。
みんな椅子から転げ落ちそうになってたよ。

MJのビートボクシングは他に並ぶものがないし、テンポは途方もない。

ハーモニーのセンスは信じられないぐらいすごい。
音が狂ったことがないし、 チューニングしなくて良い。
息継ぎでさえ完璧なタイミングなんだ。

一度、休憩中に多分OJシンプソンの逃走について
テレビで一緒に見ていたときだったと 思うけど、
ニュース番組の中でマイケルがヨーロッパで少年と一緒だと言ってたんだ。
テレビでこんなでっち上げ報道をしているとき
、僕はまさにその本人の隣にいたんだよ。
MJは僕の方を見て、こういう事に僕はつきあわされているんだよ、と言った。


僕は約3年近くMJと一緒に働いていたけど、
一度も彼のモラルを疑ったことがないし、
虐待疑惑も 信じたことがないんだ。そのころはファンでもなかったのに。
僕はMJの兄弟の子供達や他の人達の子供、
一度は自分のガールフレンドの子供とMJとの接し方を見てた。
彼らとネバーランドで 過ごしたこともある。まぎれもなくすごい人なんだ。
いつも子供達みんなの生活を 良くする方法を探していたし。
ネバーランドでは毎週末違ったグループの子供達に解放されていたんだ。
AIDSやガンなどの子供達。
それに、ほとんどの時間マイケルはネバーランドにいなかったんだ。
MJはただ自分が失った子供時代を生きていたんだ
多くの面でMJは大人にならなかった。

MJとジャネットがスクリームのバックグラウンドボーカルを
レコーディングしている間、 僕はジミージャムとテリールイスをアシストした。
二人のデュエットは最高だった。 完璧にかみ合っていて、音程も狂わない。
次から次のパートへと進むんだ。
二人は休憩中に子供の頃に良く歌った古いミュージカルの曲を歌っていた。
これもまた完璧なハーモニーなんだ。MJは悪い言葉を使わないから"stop f*ckin' with me part"
(エフワードが含まれているので)を歌うのは拒否していた。

"Stranger in Moscow"のバックグラウンドボーカルの
レコーディング作業をしていたとき、
ものすごく緊張させられた。マイケルは調子を強くしたり弱くしたり、
録音しながらメロディーや リズムをどんどんアレンジしていった。
そのころは何もソフトウェアを使ってなくて、
2インチのテープと僕の手作業しかなかったからね。

MJが前の夜にキーボードで多重録音したものを消してしまったことがあるんだ。
MJは翌朝やってきてやり直した。それについて一言も文句を言わなかった。


リサマリーが一緒にいたとき僕は同じ場所にいた。リサとマイケルは恋をしてる
二人の若者みたいだった。いつも手をつないでたし、
リサはスタジオでかなり長い 時間過ごしてた。
だから僕は二人が愛し合ってたことを疑ったことはないんだ。

1994年の夏にクリスマスソングをレコーディングしたんだけど、
そのために子供のコーラスが必要だった。
マイケルはレコーディングのためにはスタジオ全体を
クリスマスの電飾と、クリスマスツリー、偽物の雪、
そしてそりを飾る必要があると言い張った。
それにマイケルは皆にプレゼントを買ったんだ。

HIStoryをレコーディングした最後の週、
マイケルは僕とエディー・デレナのところに来てこう言った。
「すまないけど、今週末僕たちには寝る時間がないと思う。
終わらせないといけないことが山ほどあるし、
月曜日の朝には バーニーに行かないとだめだから。」
そしてマイケルはずっとスタジオにこもって歌ったり、
ミキシングをしたりした。そのときに何度か
二人だけで静かに話したことがある。
マイケルがアースソングの終わりのすごいアドリブを歌うために
準備していたある晩 ジョンレノンについて話した
。僕はマイケルにツイストアンドシャウトを歌っていたとき
ジョンが病気だった話を聞かせた。
回りの人はみんな感じを出すために叫んでいると思って いたけど、
実際はジョンの声はつぶれかけてたんだ。
マイケルはその話に感心した。
それから心を込めてアースソングを歌った。


その夜、ミキシングしてる間に皆が部屋を出たのでMJが音量を上げた。
それはミキシングを やるときよくあることで、
僕はMJが何か必要だといけないからイヤプラグを着けて手で耳を
覆って部屋に残った。この夜に限って、
照明が全部消されていたんだけれど僕らは何か青い光が
再生中に点滅しているのに気がついた。少しして、
それはスピーカーの一つが青い光を放っている
のだとわかった。MJはそれが気に入ってフェーダーを全部上げようとした。

MJは歌っている間の熱湯が好きだった。
それがまた本当に熱いんだ!!!試してみたらプラスチックの
スプーンが変形するほどだったよ。

ブルースと僕はNYCで毎日スタジオまでどの経路を通って歩いてくるか話していた。
マイケルは僕達を見て、歩いてこられるのはラッキーだよと言った。
マイケルが歩いていると嫌がらせを必ず受けたそうだ。
それを聞いたときは僕たち皆が悲しく感じてしまった瞬間だった。

ジャネットのコンサートのチケットをもらったので
スタジオのメンバーで仕事の後、出かけていった。
コンサートの半ばぐらいに僕らは後ろの通路でひげを伸ばした
長いワンピースみたいなのを着たやつ が踊っているのを見た。
マジで踊りまくってたんだけど・・・それは変装したマイケルだった。
フレッチという映画でローラースケートをしてる
チェビー・チェースが着てたような感じの格好だった。




マイケルは自分の休憩室に最初のプレーステーションを置いていた。
僕たちは夜遅くに まだリリースされてないゲームを楽しみながらスナックを食べた。

ジュラシックパークが公開されてたとき見られなかったメンバーがいたので、
マイケルは ソニーで僕たちが見られるように手配してくれた。

マイケルはNine Inch NailsのDownward Spiralの大ファンだった。

3年間一緒に働いてMJのマスターテープに直に触れられる機会を得られて
本当に幸運だった。
天才達の叡智をのぞきこむ機会だった。

僕が作業をしたレコードの中でプラチナを獲得したのはMJJだけだった。

ある日、僕たち皆でスタジオでゆっくりマイケルの曲を聞いて
彼のインスピレーション を感じようとした。
マイケルは曲を作る工程を愛していたし、レコードを作る仕事を愛していた。

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別のエンジニアの思い出。

ノートリアスB.I.G.のセッションについて書こう。
こんな風だった。マイケルはよくアルバムに参加して
欲しいと色々な人に電話をして頼んでいた。
地球上のほとんど誰もがマイケルからの電話だったら応答する
のは面白かった。それはともかく、
B.I.G.がやってくるという噂を聞いて、僕はすごく興奮したんだ!
"This Time Around"はほとんど自分がレコーディングしたので、
次もレコーディングするのは自分だと知ってたからだ。

それで、ダラスと僕は今か今かとB.I.G.を待っていたんだけど、
彼はほぼ時間通りにやってきた。ノートリアスは ふらりと入ってきた。
彼はその頃すごく有名だったので入って来た時、
人目を引く格好をしていた。どんな態度で彼が
接してくるか僕は予想もできなかったけど、
来てみたらとてもよさそうな人に見えた。すぐに彼は
「なあ、ダラス、マイクに 会えるかな?」と口を滑らせた。
ダラスは多分会えると思うと答えた。
ビギーはマイケルが彼にとってのヒーローなので、
この機会が自分にとってどれほど大きな意味を持つかについてしゃべり続けた。
そして、ダラスはラップを先に録音するつもりだと彼に話した。
それでビギーはブースに向かっていき、
僕たちはレコーディング開始の準備をした。


いよいよ僕たちが大きな赤いボタン(ソニー3348機の)を押して
、はいスタート!最初のテークで、ダラスと僕は顔を見合わせた。
完璧で間違いがなかったからだ。僕もダラスも感動した。
聞きなおしてみて、ダラスは「ワオ、これで出来上がりだ」
みたいな感じだった。思い起こすかぎり用心のためにもう一テークとったが、
多分最初のテークを最終的には使ったような気がする。
それでノートリアスが戻ってきてマイクにすぐ合えるかと聞いてきた。

僕らはマイケルが作業している部屋にビギーが終わったので
会いたがっていると伝言した。

セキュリティ上の理由で、マイケル担当の警備員は
部屋にいるべきじゃない者がいないかどうか必ず
確かめることになっていた。確認が終わった後
(僕と、ビギーとダラスだけだった)、マイケルが入ってきた。
ビギーはほとんど泣きそうになっていた・・・。
僕には彼にとってこのときがどんなに
大切だかよくわかった。マイケルはこうした影響を
誰にでも及ぼすことが可能だった。たとえ相手が
極めつけのハードコアのラッパーだったとしても!


ビギーは言葉に詰まりながら控えめにマイケルの音楽が
自分の人生においてとても重要な意味が あることを話した。
マイケルはいつものようにとても謙虚で、
ビギーがどれだけマイケルの事を
愛しているか語り続けている間ニコニコと微笑んでいた。
僕はビギーがただの普通の太った人に なってしまったのを見て
なんだかとても優しい気持ちになった。
何だかんだ言っても、僕らは みんなただの人間なんだ。

マイケルはその後僕たちが完成させたものを聞いてみたいと言った。
それで僕たちは録音したものをスピーカーから流した。
マイケルはものすごく気に入って、ビギーに興奮気味にそう伝えた。
「わー、もう一回聞いてみよう。」僕はマイケルがそう言ったのを覚えている。
それで僕らはもう一度聞いた。マイケルは本当に気に入ってた。
そしてビギーにフィラデルフィアからわざわざ来てくれたことに対して礼を言った。

ビギーはどちらかと言うとおずおずと
写真を撮って良いかマイケルにたずねると、
マイケルは了解した。写真を撮影して、
僕たちはもう一度聞いてみた。それからマイケルはビギーに礼を言った。
マイケルはさようならと言いながら彼を見送ろうと部屋の外に出た。
ビギーはそれで完全に動揺してそこで固まってしまった。

このことは本当に素晴らしい思い出としていつまでも忘れないだろう。

前にノートリアスBIGのこと等を訳したエンジニア用の掲示板ですが、
その後はマイケルのトリビア的な話が多かったので、
ちょっとですが紹介します

マイケルはイエスの"Owner Of A Lonely Heart"が好きだったので、
DSの中にその音をサンプリングして使った
DS
http://www.youtube.com/watch?v=Z1y-opyTFUM
Yes "Owner Of A Lonely Heart"
http://www.youtube.com/watch?v=BWvzZCZF1gw

マイケルはGrace Jones のFeel Upという曲に影響を受けたと言った
http://www.youtube.com/watch?v=L3k-x0pbvMc

(このエンジニアはマイケルとスタジオでもしも
二人きりになったときに話す話題を色々考えてたそうなのだが
いざ二人になって緊張してたらマイケルがコーンを投げてきたので
自分もピクルスを投げ返したそうだ。
色々投げ合いをしたあとに大笑いして打ち解けることができたって。。。
マイケルは三ばか大将のコントを人が真似して
やってるのを見るのが好きだったとも言っていた)
http://www.gearslutz.com/board/so-much-gear-so-little-time
/403276-post-here-if-you-worked-michael-jacksons-dangerous-album-14.html

Bill Bottrellはエンチノのスタジオでマイケルが推薦する映画を一緒に見たことがある
テレビで見たわけでなく、小さな映画館みたいになってて映写技師もいた
見たのは、アラバマ物語と、This Is Elvis (エルビスのドキュメンタリー)

Will You Be Thereのイントロにはマイケルのひらめきがあって
ベートーベンの第九が使われている

http://www.gearslutz.com/board/so-much-gear-so-little-time/
403276-post-here-if-you-worked-michael-jacksons- dangerous-album-24.html




 
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