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ケニー・オルテガ
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THIS IS IT
ダンサー

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The Wiz
ヘアメイク担当

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テディ・ライリー
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フィリピン
マニラホテル
広報担当者

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ジョン・ランディス
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マジシャン
リアム・シーハン

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VANITY FAIR
カメラマン

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THIS IS IT
音楽監督

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専属画家
デビッド・ノーダル

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 デビッド・
ワルチンスキー

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エンジニア
ロブ・ホフマン

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プロデューサー
デビッド・パック

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インパーソネーター
Navi

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DORIAN
HOLLEY

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アンドリュー
ロイド・ウェーバー

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画家ネイト
ジョルジオ

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Chris Apostle
Cory Rooney
Chris Yandek

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ゴットフリート・
ヘルンヴァイン

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Sam L. Parity
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マイケルの手紙
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David Perry
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Travis Payne
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Tom Mesereau
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お題::マイケルジャクソンとバッタリ会った!




http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=485687
2009年7月11日午前12:00配信
【ジェン・カリノ(雑誌?ザ・フィリピンスター)】
(筆者はフィリピンのマニラホテルの元広報担当で、
1996年12月にホテル客として滞在していた
マイケル・ジャクソンの当時の思い出を記す。)



当時私は、年に一度の孤児のためのクリスマス会を仕切るように選ばれており、
クリスマス会にはマニラ中の異なる孤児院から300人もの子供たちが集まり、
一日中、喜びと驚きに包まれていました。

私にとってあのクリスマス会は人生の中で経験した大きな仕事のひとつでしたが、
あの日の前日にマイケル・ジャクソンがわれわれのホテルに
滞在するということを知ってしまっていたので、
正直なところ仕事に集中するのが大変でした。

二日前の晩、私は幸運にも他の広報担当や営業担当と共に、
彼が到着する時にホテルのロビーで迎えをする列の中に入ることができ、
この目で彼が歩くのを見ることができました。

その翌日、マイケル・ジャクソンの滞在中のサポートを
任されていたママラオ・プロダクションという会社の
ある男性が我々のホテルのオフィスに来ました。
その男性の名前を思い出せないんですが、とにかく
「現地での調整係」という感じで、
彼の上司が、(ホテルが宿泊客に一週間前に配布した)
チラシで孤児達のクリスマス会のイベントのことを知ったと言いました。
マイケルはなんとか自分も助けにならないかと考えていたようです。


マイケルの調整係の男性は、我々がイベントの詳細を話すたびに
何度も広報部の部屋とマイケルの滞在している部屋を、行ったり来たりしました。
そして、マイケルはおもちゃやキャンディー、
チョコレートなどと共に300もの贈り物を提供することを提案しました。

しかし、既にそのイベントには50社近いスポンサーがいましたので、
正直なところすべてのプレゼントを会場内に置く事ができるのか心配でした。
そこで私は慎重に考えたのです・・・
あのキングオブポップがこのイベントでできる最高の役割とはなんだろうか?と。
もちろん私はマイケルを子供たちがよくやるようなパラヤック
(補足:フィリピンの伝統的な遊び・天井に吊るした壷を棒で叩くような遊び)や
パビティン(補足:これまたフィリピンの伝統的な遊びで誕生日やクリスマスによく見る・
天井に吊るしたキャンディーやチョコを下からジャンプしてとる)
に参加する提案はそれこそ彼がこのイベントへの参加を取りやめてしまうだろうと思ったので、やめました。


そして年中行事となったこのイベントはまさしく「どんなものでも与える」
という趣旨のものでしたので、
私は勇気を振り絞って例の調整係の男性を呼んで
マイケル・ジャクソンが子供たちに与えられる贈り物として
私が考えられる一番のものとは、 彼の直筆サインとマイケルが子供たちと
一緒に写る写真ではないだろうかと話しました。


「えぇ〜!?、それはちょっと厳しいね。300人もの子供に
”手書き”のサインをてことだろ?用意するの相当きついと思うよ。
まぁ、とりあえず伝えてみるから、返答待ちだな。」と調整係の男性は言いました。
ちょうど昼食の時間だったのですが、私はその返答が気になっていたので、
人生で一番早い昼食をとり、すぐにオフィスへ戻りました。
そしてマイケルの調整係の男性は5時前には戻ってきて、こう言いました。
「マイケルは君の提案がどんな贈り物よりも気に入ったみたいだ。
明日までに用意すればOKかな?」と。 私は叫びたくなりました。
私は(補足:ディズニーチャンネルで有名な)リジー・マクガイヤーのように
「これは本当だ。仕事に集中しなきゃ。」と自分に言い聞かせて
落ち着きと平静さを取り戻さねばなりませんでした。


私たちは、子供たちのゲームやミュージカルなどが終わった後マイケルが会場入りし、
最後の時間にこの素敵な贈り物を子供達にあげることを決めました。
私の同僚アニータ・アフリカーノと上司の
ダルス・アグニールはホテル周辺の庭とステージ付近に特別な警戒態勢をとるように依頼し、
その場をマイケルからのプレゼントをあげる場所として決めました。
そして子供たちがプレゼントを受け取る時にはきちんと列を作るようにすることも確認しあいました。
そして1996年12月7日シャンパン・ガーデンでいよいよその時が来ました。

私はマイケルが例の調整係の男性に案内されて、私達のところへ歩いてくるのを見て驚きました。
マイケルは私たちのところへやってきて、簡単な打ち合わせをしました。

「こんにちは、宜しくお願いします。僕をこのイベントに参加させてくれてありがとう。
わかってるけど、ちょっと早く来ちゃいました。
だってこの(最後の)プログラムにちゃんと間に合いたかったから。」

私が、「まさか冗談でしょう?今回はこのイベントにボランティアで
参加してくださって本当に感謝しています。
贈り物をあげるまでの時間、どうかここにお座りになって
ミュージカルをご覧になっていって下さい。
私はプログラムを少し調整して早めてきますから。」
と言うと、マイケルは、「わかりました。何でも言うとおりにしますよ!
(私の名札をじーっと見ながら)ゲインさん!」と返しました。
私はなんて素敵な、控えめな人だろうとびっくりしました。
そして私の頭の中では「神よ〜これは本当に現実のことなんですね!」
といっていました。

驚いたことに彼は、辛抱強くすべてのプログラムを座ってみていました。
“Ang TV”の大黒柱であるカロル・バナワはMJが
彼女のパフォを見ていたなんて信じられませんでした。
そして自身のパフォが終了した後すぐに
彼にお願いして彼女の赤いブラウスにサインをもらったのです。
そして続くステファン・モリのダンスの後、
それぞれの孤児院の子供たちと一緒に彼のバックダンサーやコーラスたちが
ステージに上がって 即興でビリージーンの真似をして踊ったのです。
あ〜その時のマイケルの笑った表情といったら、本当に素晴らしかったです。

そして私たちはいよいよマイケルがステージでみんなに贈り物をすると、
発表しました。 私はマイケルに、プレゼントは小さい子供たち用と
大きい子供たち用があることを伝え、彼はコクリとうなづきました。
彼がこれから子供達にあげるプレゼントはとても子供達の心に触れることでしょう。
そのスリルと興奮といったら!
子供達にプレゼントを上げている間、
パフォーマーとしてではなく一人の人間として私は彼を見ていました。

そのイベントはある午後に行われました。
サンタクロースに扮したデービッド・エンドリガ
(広報担当のフランシス・カピストレノの友人)も私たちと一緒にいたのです。
熱気が上がってきたので私はマイケルが彼のおなじみの格好、
黒の豪華な長袖衣装と帽子では厚いんじゃないかと心配になりました。

「大丈夫ですか?マイケル。休憩を取ってもいいんですよ。」と聞いてみました。
すると彼は、「僕は涼しいよ、ゲイン。サンタの気持ちになってみたいんだ。
だってサンタはベルベットのスーツとたくさんのひげをはやしているだろ。
僕たちだって大丈夫さ。」と言ったのです。

私は彼が暑いとか、列が長い、と言ったり愚痴ったりする姿を一言も聞くことがありませんでした。
彼は最高に素晴らしいマナーの持ち主だったのです。
彼は飲み物が欲しいとか、彼の汗を拭う為のタオルが欲しいなどとさえ言いませんでした。
しかしやはり心配だったので、私達のスタッフの一人が彼に
100%オレンジジュースを出すことにしました。


一時間が過ぎ、やっとプレゼントが半分に減って来た頃、
私たちはシャンパンガーデンが突然騒がしくなってき たことに気づきました。
マスコミや野次馬、ホテルの宿泊客、シャンペンガーデンの近くで
結婚式に参列していた招待客などが押しかけ てきて
みんなキングオブポップを一目見ようと躍起になっていたのです。

「本当にすみません。こんなはずじゃなかったのですが。」と謝る私に
「いいんだよ、とにかく切り抜けよう。」
とマイケルは微笑みながら言ってくれました。
彼が最後のプレゼントを11歳の孤児に渡し終えた時、
なんと新たな行列ができました。
そこには多くの子供たちや大人たちもいて、
マイケルのボディーガードのウェインは、「もう帰ろう。マイケル 。」と言いました。


マイケルは穏やかに返しました。
「僕たちはこのまま列に人々を残したまま行ってはいけないよ、今日はクリス
マスなんだから。気取りやさん?」
この言葉を聴いた時、私は自分の鼓動が早くなり、
腕の毛と首の後ろが逆立ちました。
彼はただ人を最高に感動させるパフォーマーとうだけではなく、
最も崇高な人間であるということを知りました

一番記憶に残っている瞬間は、ある女性がマイケルにサインをねだりに来たときでした。
マイケルはおなかを抱えて笑い転げていました。
彼は私に、「ちょっとゲイン、見てごらんよ。白紙の小切手だよ。
あの女性、僕に白紙の小切手にサインしろだ って!」

私たちは苦しいくらいに笑い、まるでコメディーの一場面のようでした。

〜中略〜

私の中の半分はこの長い行列が早く終わってくれることを望んでいました。
文字通り溶けそうなほど暑かったし、安全面においても心配でした。
しかし残りの半分は違ったのです。ひとたびこの列が途切れてしまえば、
マイケルは元の場所へ去ってしまうからでした。
そして遂に列が途絶えました。
私は姉妹のためにサインをもらい、
支配人のクレオ・パブロは「クリスマスに愛をこめて」
と書かれたサインをリクエストしていました。
その後、彼のセキュリティーと調整係の男性たちが、
マイケルをステージから連れて行くのを見て
私は心の中で、「あぁ〜!マイケルにさよならも言えなかったな・・・。」
とつぶやきました。

すると突然、マイケルがステージ上に戻ってきて私に言いました。
「ゲイン。君と君のチームに本当にありがとうと言いたいんだ。
今日は本当に素晴らしかったよ。」と。
そして彼は私を抱きしめ、こう言いました。
「ヒストリーコンサートで会おう。
(補足:中略でマイケルはゲインをコンサートに誘っています。)」

今、マイケル・ジャクソンは眠りにつき、純粋無垢な状態に戻りました。
キングオフポップのこれらの2つのシンジラレナイ行動
《自発的にチャリティーに参加したこととその後の他人を思いやった瞬間》は、
私がこの男性を想う時、必ず思い出すだろう









 
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